10月1日(昭和15年) |
高野山で三国同盟詔書奉戴式。 |
10月2日(昭和29年) |
神谷簡易水道竣工祝賀式。 |
10月3日(大正9年) |
高野山生命保険会社創立企画。 |
10月4日(昭和17年) |
高野山国民学校校庭で、僧俗合同の体育大会。高野山男女青年団主催による。「町内会対抗リレー」など。 |
10月5日(昭和4年) |
高根小用の薪1200貫匁を金43円96銭にて中迫国重氏より購入。 |
10月6日(昭和6年) |
筒香小、母の会を開催。 |
10月7日(大正6年) |
高野山コドモ会発足。高野山日曜学校。児童70人。職員3人。 |
10月8日(昭和17年) |
湯川小へ太平洋大地図壱軸が寄贈される。 |
10月9日(昭和14年) |
細川の青年学校生徒による勤労奉仕。区民の人足により銃器室も竣工。 |
10月10日(明治42年) |
富貴村において伊都郡畜産品品評会が開催される。 |
10月11日(昭和6年) |
ホテル建設問題に高野山の各寺院が反対する。 |
10月12日(大正15年) |
富貴村信用購買組合事務所に賊。手配される。 |
10月13日(昭和28年) |
湯川で婦人会結成式。 |
10月14日(昭和32年) |
富貴の松茸事件取材のため、読売、和歌山の新聞記者が富貴小に来校。 |
10月15日(昭和11年) |
杖ヶ薮尋常高等小学校の創立六十周年記念式、祝賀会。 |
10月16日(明治34年) |
侯爵 西郷従徳と伯爵 板垣退助の一行が登山する。 |
10月17日(大正12年) |
高野山上で東京大相撲。関東大震災の追善のため。 |
10月18日(昭和12年) |
相ノ浦小学校及び男女青年会、国防婦人会連合にて運動会開催。 |
10月19日(昭和5年) |
高野山僧俗合同運動会。山上の四新聞社主催となり高野山小学校校庭にて開催。 |
10月20日(昭和20年) |
湯川小運動場に土俵を設置する。 |
10月21日(昭和14年) |
高野町役場と西細川小の間に私設電話開通。 |
10月22日(昭和16年) |
4月に開校した高野山家政女学校は寄付を得て、苅萱堂南奥の広場に建築し始める。この日地鎮祭。 |
10月23日(大正12年) |
湯川区内忠魂碑前において第一回招魂祭。児童引率し参拝。 |
10月24日(大正3年) |
高根小の石垣25坪完成。 |
10月25日(昭和8年) |
画家の堂本印象氏が高野山に登山。大塔の柱絵を描く。 |
10月26日(昭和18年) |
高野山参詣自動車(株)は太平洋戦争が勃発するまで運行。この日に解散。 |
10月27日(昭和3年) |
白藤小では御大典及び五十周年記念事業のため運動場を拡張し完了する。 |
10月28日(昭和13年) |
27日武漢陥落の報によりこの日各小学校の校庭や、高野山根本大塔前で祝賀式挙行。 |
10月29日(大正7年) |
高野新聞発刊。花園村の有志 津本米蔵氏による。 |
10月30日(大正14年) |
山階宮藤麿王殿下高野御登山につき神谷で休憩される。 |
10月31日(大正11年) |
高野山道友会発起のもと、極楽橋より女人堂に至る不動坂の道筋に電灯を設ける。点灯式挙行。 |